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雅成親王と黒木の御所、ゆかりの地あれこれ
2022-07-05|ニュース
 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、イベント情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

 

 

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されています。

 

これから主人公の「北条義時」がその権勢を振るう時代がやってきます。

 

義時が全盛期を迎えたころ、これに対抗しようとしたのが「後白河法皇」の孫にあたる「後鳥羽上皇」です。

 

「後鳥羽上皇」が朝廷の権威を取り戻し北条氏の勢力拡大を阻もうとして起こったのが承久3年(1221年)の「承久の乱」です。

 

戦いは北条方の勝利に終わり、「後鳥羽上皇」は「隠岐の島」に流刑になってしまいます。

 

このとき「後鳥羽上皇」の第四皇子であった「雅成親王」(六条宮)は豊岡市にある「高屋(たかや)」の地に流刑になりました。

 

建長7年(1255年)に亡くなるまでの約30年間、親王が暮らしていたのが「黒木の御所」と呼ばれるところで、亡くなった後、その近くの「雅成親王陵」に祀られています。

 

 

 

 

「雅成親王」は、時折はるかに遠い京の都や隠岐の島に流された父・後鳥羽上皇をしのんで、海の見える「日和山」に来られては嘆き悲しんだといわれます。

 

 

 

後日、里人たちは親王の心情をしのんで「柳原神社」を建立したといわれます。

 

「雅成親王」が嘆き悲しんだところに生えていたのが「お嘆きの松」、遠く海を眺めていたところが「お待ち岬」といわれています。

 

 

 

「柳原神社」、「お待ち岬」は、「日和山」の「城崎マリンワールド」からもすぐ近くですので、ぜひお立ち寄りください。

 

 

このほかにも豊岡市内や但馬には、「雅成親王」をしのんで訪ねてこようとした「お妃の悲劇」や「後鳥羽上皇」にまつわる言い伝えを残すところがいくつかあります。

 

 

「但馬情報特急」にも紹介されていますので、歴史に伝わる時代をしのんでゆっくり訪ねて回ってみるのはいかがでしょうか。

 

雅成親王とその妃、父・後鳥羽上皇の御旧跡巡り | 但馬の情報発信ポータルサイト「但馬情報特急」 (tajima.or.jp)

 

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