愛宕山(鶴城跡)から見た豊岡の雲海はいかがでしょう。
雲海といえば、朝来市の「竹田城」の人気が急上昇しています。
豊岡も「円山川」流域に広がる盆地のため、年間の霧発生日数は全国でも上位にあげられており、季節によってはお昼前まで霧が晴れないこともあります。
「円山川の川霧」や日和山から見る「円山川河口の霧の滝」は風物詩になっていますが、「雲海」としては「来日(くるひ)山」からの眺望がよく知られています。
先日、中世の山城として知られる「愛宕山(鶴城跡)」に登ってみました。
愛宕山から豊岡市街地を望む。円山川と堀川橋が見えます。中央左はしの小山は「神武山(亀城跡)」です。
南方向、円山川上流を眺めました。下方は「六方水門」、中央左手は「大石内蔵助の妻・りく」の遺髪塚がある「正福寺(香林会館)」、その上は「三開山」です。「三開山」も中世の山城で、豊臣秀吉に攻められ敗れたといわれています。
西方です。遠方には、日高町の「大岡山」、その後方に「奥神鍋」・「蘇武岳」が望めます。左手の山の上には「コウノトリ但馬空港」が見えます。
「愛宕山」の「鶴城」は、伝承では「山名宗全(やまな・そうぜん)」の築城と伝えられ、「山名四天王」といわれた「田結庄是義(たいのしょう・これよし)」の居城でしたが、「山名氏」の衰退とともに内部対立が深まり、同じ山名四天王の一角であった「垣屋氏」と「豊岡市宮島」付近で戦った「野田合戦」に敗れ、田結庄是義は愛宕山麓の「正福寺」(旧)で自刃したといわれています。
愛宕山は、標高120メートル足らずの小高い山で、若干急坂ですが、ハイキングコースとして比較的登りやすいところです。
登り口は「日撫(ひなど)」方面の「八坂神社」側、「山本」の「貴布祢(きふね)神社」側と「乗雲寺」側からも登れますが、「船町(ふなまち)」側からの道がわかりやすく一般的です。
円山川にかかる「堀川橋」の東詰めを北に約300メートル、六方川水門を過ぎたあたり、「船町会館」の横に登り口があります。
登山道は、ところどころ石段が整備されていますが、ほとんどは山道です。落ち葉がたくさん積もっています。滑らないように注意してください。
途中には石仏が安置されています。この石仏はふもとの「乗雲寺」を起点とする参拝ルートになっています。
ふもとへの分かれ道がいくつかありますが、船町ルートが一番わかりやすいです。
このあたりは「スダジイ」の群生地となっています。春先には白い「コブシ」の花や、ピンクの「ヤマツツジ(ミツバツツジ)」の花が楽しめます。
愛宕神社の鳥居が見えてきました。
石垣が見えてきました。もうすぐ山頂です。
愛宕神社の社殿です。
愛宕山(鶴城)の説明板と、縄張図説明
愛宕山(鶴城)は、中世の山城の特徴をそのまま残しており、時々山城のフアンが訪れ、ブログなどで紹介しています。
豊岡周辺の山城は、小高い山の上にあり、眼下の円山川や街道を見守り、敵の侵入を防いでいたのでしょうか。
「三開山城」や「鶴城」をはじめ但馬の各地にある山城は、戦国時代になり豊臣秀吉の「但馬征伐」によって敗れ、ほとんどが廃城になってしまいました。
「荒城」となったたたずまいは、中世から戦国、天下統一につながる「栄枯盛衰」をしのばせます。
帰る途中、堀川橋付近の円山川で、「コウノトリ」に出会いました。
左下のほうですが、わかるでしょうか。「鶴城(愛宕山)」のふもとに「鶴(コウノトリ)」です。
3羽がエサを探していました。
KTR(北近畿タンゴ鉄道)の「円山川橋梁」を1両編成の列車が、「愛宕山トンネル」のほうへ通り過ぎていきました。
堀川橋の上で、いつもコウノトリをおっかけて写真を撮っている人に聞くと、「いつもこの時期には集まってくる。」とのことでした。多いときは10羽近くいることがあるそうですが、この時期はつがいになって巣ごもりを始めたため、数も少なくなってきたとのことです。
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